過去の日常

ゲイ・バイとして過去のまとめ。30代の悩み。考え。日記。20代と30代のゲイカップルです。

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初詣してますか。
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2013-01-25 09:00 

初詣してますか。


酔ったときにする他愛もない話の中から、僕自身の気持ちが整理されることがあります。それが初詣に関する事柄。

とはいっても、考えがある程度方向性を持つことができたのは、ずいぶん昔の話です。

初詣いってますか?
賽銭はどうしてますか?
お願い事はしてますか?

僕は性格に似合わずなのか、神社仏閣系は好きなのです。身近なところで言えば大きな施設であれば、日光などもそうかもしれませんし、身近なところで言えば、川崎大師やら浅草やら、至る所にそういった施設は存在しています。

地方にも同様に方々にありますし、最近ではショッピングモールの屋上などに、そういうイベント施設が設けられる事もあるようです。

何人かの話を聞いていて、初詣に対するスタンスというのが、僕自身はかなり異なっているのではないかと思い、ちょっとそれについて書きたいと思います。

初詣には行かないという話を聞くことはあります。僕はこれについては、特に何も思うところはありません。せっかくのイベントなので、それに参加すれば楽しいのにとは思いますが、そういはいっても、それ自体はとくにおもしろい作業でもないので、特に混雑しているということもあり、それを避けたいと思うのは、とてもよく分かります。

賽銭についての考え方。そもそも賽銭って何のためにあげるのでしょうか?願い事を叶える対価?
話を聞くと、奮発して少し多めに入れた。そのような話を聞くのです。そしてその場合の意図は、願い事の深刻さと賽銭の金額は比例しているように思います。

そのような考え方は気持ちはわかるものの、愚かなこと、間違ったことだと思っています。そもそも大金を積めば願いが叶うなどというのが、すでにどうなのでしょうか。また願いを叶える方も、この人は大金だから・・・という理由で叶えたのだとしたら、それでは本末転倒な気がします。だから僕は賽銭については極少額にしています。本当は無くても御利益には関係無いと考えていますが、イベントを楽しむためには賽銭をあげるということが、必要なアイテムである事も事実です。

願い事について。
願い事は他人に言うと叶わない?そのように言われているのでしょうか。まあ僕も、他人がたとえくだらない願い事をしていたとしても、それで良いと思いますし、当たり障りのない願い事だとしてもあまり興味がありません。
ただし、願うべきではない願い事の種類というのがあると思っています。

完全に他力になってしまうのは絶対によくないと思います。「恋人ができますように」などと言っても、叶うわけがありません。せめて「いい人と知り合えますように」でしょうね。あとはもし好きな人が思いつくのであれば、具体的に「○○さんとつきあえますように」というのもありだと思います。

恋人が欲しい。そのような話はよく聞きます。しかし出会いがなければ恋愛に発展することもありません。だからゴールをいきなり要求するのではなくて、その手前の段階こそ、切実に願うべきなのです。そしてそこから先は、さすがに努力しましょう。
具体的に好きな人が思い浮かぶ場合は難しいのは事実です。しかしまあ友人関係であるならば、あとは運を天に任せて告白などするしかないでしょうから、それで玉砕するなら仕方の無いことです。僕だったら「○○さんに告白するのでうまくいきますように」というお願いをすると思います。


あとは事後のことを無かったことにするようなお願いもダメだと思っています。例えば「落とし物がみつかりますように」というように、落としたことを無かったことにするようなお願い。病気が治るようにというタイプのお願いもこれでしょうか。

なぜこれが違うと考えるのか、それはお願い事がネガティブな要素を含むからです。
願い事は、それが叶えばポジティブな要素を持つべきだと思います。だから落とし物が見つかるようにという願いの前に、「落とし物をしないように」そのように願うべきだったのです。また「病気をしないように」事前にそのようにお願いをするべきです。

上記に関連して、ネガティブなお願いは絶対にダメです。「○○さんが不幸になるように」という種類のもの。もちろんどうしてもそういう気持ちを完全に捨てるのは難しいと思います。しかしそこはぐっとこらえて、比較となる人がいて、その人と比べたいのであれば、「○○さんよりも幸せになれますように」という願いをするべきです。すると、これは相対的な物なので、相手が今よりも不幸になる事によって、自分の方が相対的に幸せの位置につく場合と、もちろん自身がすごく幸せになって、相手よりもうまくいく可能性があります。

僕は本来あるべき願い事の姿としては、「曖昧」「ポジティブ」「感謝」につきると思います。
曖昧というのは、非常に重要です。叶うか叶わないか分からないのであれば、叶う可能性のある願い事の方が良いのです。「3億円欲しい」そう願ってそれが手に入らなければ、叶わなかったと一言で言い切ってしまうのはとても残酷なことだと思います。それだったら給料が上がりますように。同じ金銭でも、これならずっと叶う可能性が高まります。時給にしても月給にしても、黙っていても少しぐらいは増えますよね?

健康で・・・という願いも素晴らしい願い事の一つだと思います。この願い事が素晴らしいのは、100%叶うと言うことです。風邪を引いて寝込んだとしましょう。「この程度で済んだ」そう思えば良いのです。もしお参りしていなかったら、もっとひどいことになっていたかも知れない。だからこの程度で済んでよかった。と。そうすれば、絶対にこの願いは叶うのです。

願い事は具体的な方がいいと思います。しかし曖昧な方が良いのです。「幸せな1年で・・」という願いは、叶うでしょうが、実感も持ちにくいでしょう。だから具体的で曖昧。それが重要です。

最後に感謝です。これもまたとても重要な事です。僕はもうずっと何年間もお参りをしているので、かならず翌年のことを振り返って感謝をしています。「おかげさまで去年は1年間楽しく過ごすことができました。」と。感謝に意味があるわけではありませんが、これも叶える側の事を考えてのことです。当たり前のように願い事ばかりを言われるよりは、感謝から始まって願い事を言った方が、精神的にもだいぶラクでしょう。

みなさんもぜひ意識してみてください。

※なお僕自身は無宗教であり、神仏や特定の宗教を信じているわけではありません。
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[ 2013/01/25 09:00 ] 日常 | TB(0) | CM(0)

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