過去の日常

ゲイ・バイとして過去のまとめ。30代の悩み。考え。日記。20代と30代のゲイカップルです。

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口説きのこと。
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2011-12-06 23:00 

口説きのこと。


「無し」と僕はよく言っていること。もうちょっと誤解のない表現をすれば、脈無しっていうこと。
この「無し」の人にいつまでもつきまとう=口説くのは、非常に悲しいことになる。

逆に「有り」と僕が表現する対象。つまりは脈有りってことだろうか。は、適度なペース、距離感、ふるまいに注意しつつ交流することが大切だと思っている

僕はさんざん書いているように、モテないという発想が根底にあるので、しつこい好意はゼロだし追いかけるような事はしない。むしろもうちょっと押せば何とかなりそうなのに、最初の段階のイヤそうな表情で、すぐにあきらめてしまう。

しかし世の中全体的なことを言えば、脈無しからの逆転というのは無数にあり、それが成就するとすれば、かなりすばらしい恋愛になるのではないかと、勝手に思っている。

まんざらでもないお互いが、お互いの様子を見ながら恋愛に発展する前の段階を踏んでいるとき。これはもどかしくもあり、またほほえましくもある。男女においても、男性同士においても例外ではない。まんざらでもないと考えているだろうと容易に想像できる態度で接している両者は、まだ付き合うといえるほどの段階ではないのだろう。
しかし順調にいけば、そしてどちらかが転機を迎えて積極的になればすぐにお互いの距離は縮まる。

一方でその中間もある。第一印象や、何回かの交流では好きでも嫌いでもないというような感じ。
とても自然な友人関係を築いて、それが何かちょっとしたきっかけで恋愛関係に発展することもあると思う。もちろんどちらかが、少しでも積極的にならなければ進展は見られないが、それでも友人関係というフィールドから、恋人候補に上がるというのは、とてもすばらしいことだと思う。リスクとリターンなどと言ってしまうのはアレだが、それでもやっぱりバランスがとてもいいのではないだろうか。

さて、悲劇の部分。
お互いが無しと考えているか、一方的にアリと無しに分類されてしまっている場合。例えば僕は大好きだけど、相手は僕のことが大嫌い・苦手というような。
この場合に、何かしらが得られる結果を出すことが可能なのだろうか。もし無しということを実感することになったとしても、そこから何が得られるのか。そして逆転はあり得るのだろうか。

僕はとても難しいことだと思っている。まずは僕自身はこのパターンの場合は手を出さない。すぐにあきらめる。だからこの場合の結果がどうなるのかは想像できない。また外部からの問題もある。必死に仲良くしようとしているところを目撃されるだろう。噂として出てくるかもしれない。そういうときに、おそらくみんなが思う共通の認識は「きびしいでしょ」と。

健気に相手の後ろを追いかけるのは、とてもすばらしいことだと思う。しかしそこで成就しないことが確実に近いとすれば。それはどのように考えるべきなのだろうか。

僕が初期の頃に書いた記事で、身体を武器に誘惑してくる場合があるという話を書いた。「身体が目的で会ってもいいよ」みたいな感じ。
これは僕がタチとしての役割を担うから、相手が武器にできることだと思う。逆に僕が、身体を目的に・・・なんていうのは、おこがましい。むしろ距離が離れるだろう。
ご飯などで、少し高価な場所に誘うというのは、年齢を考えても武器にできるかもしれない。
しかしそこまでする必要のある、口説きたい相手というのは存在するのだろうか。
なかなか難しい話だと改めて思う。
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[ 2011/12/06 23:00 ] 考え(ゲイ関連) | TB(0) | CM(0)

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