過去の日常

ゲイ・バイとして過去のまとめ。30代の悩み。考え。日記。20代と30代のゲイカップルです。

-------- --:-- 

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)
2014-05-03 10:00 

どこが好きなの?という恋人に対する質問。



僕の恋人が、僕の友人に会うことは滅多に無い。本人が望んでいないこともあるし、何人かの親しい友人たちにはほとんど会ってもらったので、とくにいいかなぁという僕の考えでもある。
僕の友人たちが、僕の恋人に対して概ね口をそろえて言うような評価がある。そしてそれは肯定的な意見なので、僕はうれしい。
しかし大変に困ったこともある。

それが、「僕の恋人がなぜ僕を選択したのか分からない」というものである。
しかしこの質問の対になりそうな
「なぜ僕があの人を恋人にしたのか分からない」という質問は受けた事が無い。

僕は他者の意見や評価というのは、とても重要視している。今までの友人の意見を総合的に考えても、いくつかの飛躍した意見はある。しかしだいたいの場合は、案外正しいと思えることがほとんどである。もしくは、個人的な思惑の中で若干の修正を行えば十分正しいと思えるところに集約してくる。

この質問のことをまとめると、非常に単純で一つの明確な結論になるのである。

僕は良い恋人を見つけた。と。(そしてそれは、運がよすぎるんじゃないかという部分もかなりの比重で含まれている)
そして恋人は、なぜかお。さんにしたのか。と。(そしてそれは、恋人の総合力からすれば、僕が恋人なのは貧乏くじを引いているのでは無いか。という意見が大きな比重で含まれている)

これは客観的に考えると、大変正しい第三者の評価では無いかと僕は強く感じているのである。

もちろんこれらの意見を総合すると、僕にしてみれば、とても良い相手をみつけたというものだから、こんなに素晴らしい意見はない。そしてそれは多いに僕にぶつけてくれれば良い。僕はそれを時には優越感に浸りながら。時には恥ずかしがってそれらの意見に回答を寄せる。

しかし僕の友人たちは時に非常に残酷なのである。
それらの質問を恋人にぶつけるのである。もちろん「(もっといい人と知り合えるんだから)かお。さんが恋人じゃもったいないよ」などという、直接的すぎるような愚かな質問を投げるような友人は一人もいない。しかしそれを、遠くに臭わせながら、適切に伝わるであろう質問が、「かお。さんのどこが好きなの?」というものである。

僕はこの質問についてだけは、禁止しようと思っている。

だってそれについて改めて考えさせるのは僕にはとても怖い事だ。
恋人が「あれ、聞かれてみたから考えてみたけど、よく考えたら(よく考えなくても)好きなところないや」そうなるのは目に見えている。
そしてさらに発展的に「自分のタイプは○○ってところだから、○○さんの方が好きかも」そんな事になりかねない。


この質問の場合、少なくとも僕がこの手の質問を友人たちのカップルにするときの意図というのがある。
僕が好きだと思っている部分、もしくは客観的に魅力的だと考える部分を恋人さんも好きと感じているのかな。と。

例えば話がおもしろい人と恋人関係になっていたら、恋人さんに「相手のどこが好きなの?」と聞けば、もちろん僕の知らない側面を好きと答える場合もあると思う。しかし「話をしていておもしろい」そう答える場合も多い。もちろん僕がいいと感じていた部分を苦手な部分として挙げる場合もあって、それはそれでおもしろい。
ということが意図されているのであれば、この質問は問題無いと思う。しかし、上記に挙げたとおり、僕の友人たちが僕の恋人にこの質問をする場合は、意図が異なっているように思えて仕方が無い。

ということで、この質問は禁止!
ブログランキング・にほんブログ村へ 人気ブログランキングへ
スポンサーサイト
[ 2014/05/03 10:00 ] カップル(彼関連) | TB(0) | CM(0)
2014-05-23 10:00 

恋人がいると、楽しいことつまらないことは半分?2倍?



恋人と長らく楽しくやっている。
かつて一人身だったとき、恋人ができることは辛いことやつまらないことは半分になる。そして楽しいことは2倍になるという話をきいた。

そしてそれはそれは、夢のような状態で、そうなったらもう楽しいことしかないじゃんか!そのように思ったものである。

さて、いざ自分の事を考えたときに、それはどうだったのか。
結局のところ、自分の考えとしては、楽しいことは2倍。それは間違いがないと思う。しかしつまらないこと・辛いことも2倍であると考えている。

楽しいことは言うまでも無く、一人の楽しさというのももちろんある。しかし相手と一緒だと、単純に楽しいだけではなく、その楽しい状態を共有できてたことがさらに楽しいという感情が出てくる。だからこそ2倍になるというのはうなずける。

しかし辛いことだって2倍だ。一人だけで解決できるようなことだって、2人の利害が絡んでいれば、その影響は大きい。引っ越しだって、好き勝手決められたのに、相手がいればそれを好き勝手に決める事はできない。制約にもなるし、その後の関係にも影響が出てくる。
ごはんだって、食べたいものを食べたいときに。。。。だったのが、相手がいればそれもまた尊重する必要がある。
細かいことだけど大切な事だと思う。

また別の考えとして、楽しいことが2倍になっているから、それが標準の楽しさに感じるよう、マヒしてくる。だから2倍の楽しさを得られなかったときのつらさは、4分の1だということになる。相対的なこうしたものは、結構大きい。
例えば1人で "1" の楽しさの場合、恋人と一緒ならば "2" になる。そして2を期待していながら、思ったほどの楽しさじゃ無かった場合、それは "0.5" だとする。その場合、期待していた2と比べると、4倍の開きがある。

つまり自分一人で楽しもうと思って、ちょっとガッカリしたぐらいであれば、それは 0.5 だけ楽しめたんだからヨシとする場面だったのに、2を期待していたのに、まったく足りない。そういう状態にもなりかねない。

結局恋人というのは、自分の楽しいとかつらいという感情を良い方・悪い方に高めてくれる存在のような気がする。もちろんうまくいっている時、順調の時にはそれが増幅されるのだからとても素晴らしい存在である。
しかし辛いときには、その方向に増幅される場合も多い。(もちろん緩衝材としての存在になるときもありますが。)
だからこそ、そういう意味ではあまり期待せずに気軽に接することが重要なのでは無いかと考えているのです。
ブログランキング・にほんブログ村へ 人気ブログランキングへ
[ 2014/05/23 10:00 ] 考え(ゲイ関連) | TB(0) | CM(0)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。