過去の日常

ゲイ・バイとして過去のまとめ。30代の悩み。考え。日記。20代と30代のゲイカップルです。

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2011-12-01 10:35 

他のカップル。


長期か短期か、というのが想像できる場合がある。
それはもちろん、僕の勝手な想像で、いい迷惑だと思う。しかしそれでもやっぱりそういう予想は僕にとって、とても重要なことだと考えている。

もちろん、きれい事なんかじゃなくて、みんな幸せであることがとてもすばらしい状態だと思うし、それぞれは、それぞれのやり方でそれを達成するべく努力をして欲しい。もちろん僕だってそれは他人事じゃない。特に僕の場合は、すごく脆弱な部分を併せ持っていることもあるので、他の人以上にがんばらなければならない。

と、いうことですが、やっぱり他のカップルを見て、「ああ、これは続かないな」と思う場合があって。逆に「これはお似合いだな。ぜひ長期で付き合って欲しいし、そうなればすばらしいな」と思うこともある。

ちなみに僕の感情はすごく単純で、続きそうな恋愛を見て嫉妬し、続かなさそうな恋愛を見て嫉妬する。そして他人事としても、続いて欲しいと単純に願う。その一方で、自分も負けてられないと鼓舞するのである。

付き合うことには、色々な理由がある。もちろん見た目ということもあるだろうし、性格かもしれないし、体型かもしれない。見た目はそうじゃなくても、雰囲気とかもあり得るし、金銭的なこともあり得る。どれか一つが突出している場合もあれば、複合的なことかもしれない。

付き合う理由はそれぞれである。そしてどの理由で付き合ったとしても、それが続く・続かないの判断にはほとんど影響しない。例えば身体の相性が理由で付き合い始めた場合、身体の相性の理由で別れるともし考えるとすれば、それは短期の恋愛になる可能性がある。

しかし本質はそこではない。付き合うことの理由に身体の相性を挙げるほどそれを重要視している人の場合、さらに相性がいい人を捜す可能性があって、それはもちろん浮気。だからその場合は、浮気が理由で別れることになるのである。

逆に金銭的な理由だった場合は、その金銭的な部分が維持されている間は続く可能性が高い。金の切れ目が縁の切れ目とはよくいったものである。また、最近ではGPSなども使った出会いができるようなので、近所という理由で付き合い始めた場合も、それが維持されている間は、続く可能性もある。(もちろん長期・短期のファクターとしては弱いけど)

見た目や会話の印象というのは、判断するための材料の一つになる。例えばおとなしい人と、すごく活発な人が付き合った場合、性格的なことは大丈夫なのだろうか。という判断ができる。

友人が付き合った場合、友人だからこそ見えてくるところというのがある。性的なことをすごく重視していることを知っている場合、もちろん恋愛はしっかりするだろうけど、肉体的なことはちゃんと大丈夫なのだろうか。と、心配してしまうのである。

そういう姿を見て自分なりに考え、「ああこれは数ヶ月」そのように判断した恋愛が、もっともっと続くこともある。逆に「これは年いくな」と思った恋愛でも、すぐに破局してしまう場合もある。

もちろんほとんどの恋愛は1年さえも維持することが難しいので、そういう意味では圧倒的に短期が多い。確率的にそうだとしても、やっぱり長期の関係が維持されるといいなぁと僕は願っているし、自分もそうでありたい。
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[ 2011/12/01 10:35 ] 考え(自分関連) | TB(0) | CM(0)
2011-12-02 11:30 

嫌悪感。


ここではもっぱら、ゲイ的な要素の記事を書いている。確かにセックスを生々しく描写するようなことはしていないけど、顔射のことは書いたし、立ちバックもたしか書いた。それ以外のセックスのスタイルについてもいくつか書いていると思う。

で、ふと思ったことがある。嫌悪感はあるのだろうか。と。

僕はバイとして、男女についての性的な描写に嫌悪感は生まれない。これは当然のことである。たぶん僕が嫌悪するとしたら、おじさんやおばさんなどの高齢の性的な行為だと思う。もしくは獣姦といわれるジャンルだろうか。

しかしノーマルの男性だったら。男性同士の性的な行為には、嫌悪感が生まれるのだろうか。

しかしそれはなかなか意識が共有できない部分でもある。例えばゲイだとと告白した場合、その状態だけでは嫌悪感はおそらく生じないと思う。だって高齢の人の性的な行為は嫌悪感を生じる要素だけど、高齢の人が普通にしてるだけだったら嫌悪しないような感じ。

だけど例えば一緒にお風呂に入るような時にはどうなのか。身体が軽く触れたときは?自身に関係なくても、キスを目撃するようなのは嫌悪感が生じるかもしれない。
そして、このブログを読んだときには?

逆に嫌悪感を生じなければ、それはゲイやバイと言えるのだろうか。なかなか難しいところだと思う。
僕の場合だと、もともと女性が好きで、徐々に男性も大丈夫になってきた経緯もある。だから確かに最初のころは、男性に嫌悪感があったのかもしれない。でも記憶にある範囲では、まったく嫌悪感はありませんが。
今まで親しんできた一般的な常識から考えれば確かに男性同士や女性同士というのは、受け入れるまでに覚悟と時間が必要かもしれない。

ちなみに、女性同士というのは男性向けに作られたアダルトビデオではしっかりとしたジャンルになっています。このジャンルについては、好き嫌いが分かれるのは事実です。

しかし例えばちょっとしたときに、気づくこともある。
例えば酔っぱらった状態では、僕は人に身体を触れられるのがあまり好きではない。で、これはどちらかと言えば、男性には特に触れられたくないような気がする。性的な意味でがっつりさわるのであれば、男女関係ない。だけど、ありがちなボディタッチは、男性からだと何となくゾワゾワっと鳥肌が立つような感じがする。
女性だとあんまり気にならないのも不思議。

でももし男性同士の性的なことを見聞きして嫌悪感の有無で判定ができるのだとしたら、結構簡単な判定方法じゃないかと思う。
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[ 2011/12/02 11:30 ] 考え(ゲイ関連) | TB(0) | CM(4)
2011-12-04 23:00 

二人のこと。


僕はあんまり二人のことを書かない。書けばそれは必ず不満を述べているような。今までの記事ではそんなことが多かったのではないだろうか。

ということで最近の話でも。

学校の関係で北海道に行くと言っていた。何日間かの拘束される日はともかく、その前後では観光だったりで楽しくすごしたようである。しかし一緒に行く人たちは、もっともっと北海道に滞在して、より満喫するようである。一緒に行かないの?そのように聞いたのだが、すぐに帰ってくると言っていた。コミュニケーションのことなのか、性格のことなのか分からないけど、なんとも言えない不思議な気持ちでもある。
(必ず雨が降る男でもある。そして実際に雨が降ったようだ。分かっていることとはいえ、完璧なところがやっぱりすごい)


アルバイトを辞めてしまった。だから金銭的にはだいぶ窮しているようだ。一緒に行動するときには、まだ大きく影響はしていない。だけどちょっとずつ、仕方が無いこととはいえ、金銭面に関する話が増えてきたように思う。旅行はできないとか、外食はできないとか。
毎月、食費としていくばくかのお金を支払っている(実際それだけ食べてるし。水道光熱費もかかってるだろうし)ということで、特に増額するわけではないんだけど、お小遣いの足しにしてください。


食事の好みが合わないことが本当に多い。
くだものに関しての先日の話。僕はぶどうについて、おいしいと思うが特別な感情は無い。だけど、彼は好きに分類しているみたい。ももは僕は買ってでもたべたい、好きなくだもの。しかし食べにくいという理由なのか、あまり好きじゃ無いらしい。
僕は餃子が大好き。定期的に作っている。彼はまったくそんな気はないらしい。

もはやここまで好みの不一致があるということは、僕に対する当てつけではないかと思っている。「好きか嫌いか先に答えてよ」といって様子を見ているような感じ。わざと逆を言わなければ、ここまで反対のことになるのが不思議だ。

こたつは今年もやっぱり論争になる。
早く出すべきだという僕の意見は、ことごとく却下される。服を着込んで我慢しなさい。そのように言っている。

とりあえず年が明けたらスキーでしょうか。
今年はそういうことで金銭的なことがあるのであまり楽しむことは難しいかもしれません。
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[ 2011/12/04 23:00 ] カップル(彼関連) | TB(0) | CM(0)
2011-12-05 23:00 

30代との恋愛について


今まで、ある一定の年齢を超えて独り身の場合、それは必ず訳ありだということを書いてきた。そしてそれは今でもそのように大半は思っている。

しかし、そのように意識するようになって、一部の人は、魅力的であるが独り身であるというパターンも少なからず存在している。その理由について、いくつか考えてみたい。

まず前提として、やはり僕は20代半ばから後半。30代の前半ぐらいに落ち着くことは非常に重要だと考えている。その時期を逃すということは、やむを得ない理由があるだろうことは想像できるけども、それでもやっぱり、、、という発想が出てきてしまう。

しかしそうは言っても全員がその時期に必ず恋人を作ることは不可能なので、一部あぶれている人がいるのも事実。ただしあぶれている人にはある程度のパターンがあるのではないだろうか。っていう気持ち。

僕の友人には、とても魅力的な人が多い。何度となく言っていることでもあるが、僕のこの特殊な性格にちゃんと付き合ってくれる人・向き合ってくれる人というのは、異常者かよほど心が広い人だろうと容易に想像ができるのである。そして僕はそこに十分に甘えさせてもらっている。

そんな魅力的なそれぞれの友人であるが、なかなか恋人ができたという話を聞かない。むしろいない期間の方が長いのではないだろうか。

それぞれについて、具体的にどのような理由で恋人がいないのかは分からない。もちろん話を聞いているとだいぶ理想が高そうだし、性格的にマッチングが難しい可能性なども考えている。しかしそれらを考慮にいれても、もう少し付き合っててもいいんじゃない?と。


そして最初の話に戻る。
訳ありという表現をしていた、一定の年齢を超えた人のことであるが、魅力のないというネガティブな側面での訳ありということが今まで想像していた中心であった。しかし実際には、魅力的な人だが、タイプや性格の理想が大きく違っている人というのも存在していた。

例えば僕からみて非常に「かわいい」という友人がいた場合、その友人は「いかつい人」と付き合いたいと願っているとする。すると、この業界ではタイプの選別が激しく、やはりかわいいというのは、いかついに変更するのは難しいように思う。そういうミスマッチはあると思う。だから魅力的でも付き合えないという可能性。

しかしだからといって結論は変わらないと僕は考える。年上が好きだ。そのように言う人は、やっぱり、普通の人はもう誰かと付き合っている可能性が高い。残っている魅力的な人は、その人の理想が高いために付き合っていない可能性がある。

そうなると結局20代後半から30代の人と付き合うのは、とても難しいのではないかと思ってしまうのである。


そうやって書いているが、僕もいつ振られるのか分からない。もし振られたら、完全に訳ありに分類される。これはとても怖い事だ。
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[ 2011/12/05 23:00 ] 考え(ゲイ関連) | TB(0) | CM(0)
2011-12-06 23:00 

口説きのこと。


「無し」と僕はよく言っていること。もうちょっと誤解のない表現をすれば、脈無しっていうこと。
この「無し」の人にいつまでもつきまとう=口説くのは、非常に悲しいことになる。

逆に「有り」と僕が表現する対象。つまりは脈有りってことだろうか。は、適度なペース、距離感、ふるまいに注意しつつ交流することが大切だと思っている

僕はさんざん書いているように、モテないという発想が根底にあるので、しつこい好意はゼロだし追いかけるような事はしない。むしろもうちょっと押せば何とかなりそうなのに、最初の段階のイヤそうな表情で、すぐにあきらめてしまう。

しかし世の中全体的なことを言えば、脈無しからの逆転というのは無数にあり、それが成就するとすれば、かなりすばらしい恋愛になるのではないかと、勝手に思っている。

まんざらでもないお互いが、お互いの様子を見ながら恋愛に発展する前の段階を踏んでいるとき。これはもどかしくもあり、またほほえましくもある。男女においても、男性同士においても例外ではない。まんざらでもないと考えているだろうと容易に想像できる態度で接している両者は、まだ付き合うといえるほどの段階ではないのだろう。
しかし順調にいけば、そしてどちらかが転機を迎えて積極的になればすぐにお互いの距離は縮まる。

一方でその中間もある。第一印象や、何回かの交流では好きでも嫌いでもないというような感じ。
とても自然な友人関係を築いて、それが何かちょっとしたきっかけで恋愛関係に発展することもあると思う。もちろんどちらかが、少しでも積極的にならなければ進展は見られないが、それでも友人関係というフィールドから、恋人候補に上がるというのは、とてもすばらしいことだと思う。リスクとリターンなどと言ってしまうのはアレだが、それでもやっぱりバランスがとてもいいのではないだろうか。

さて、悲劇の部分。
お互いが無しと考えているか、一方的にアリと無しに分類されてしまっている場合。例えば僕は大好きだけど、相手は僕のことが大嫌い・苦手というような。
この場合に、何かしらが得られる結果を出すことが可能なのだろうか。もし無しということを実感することになったとしても、そこから何が得られるのか。そして逆転はあり得るのだろうか。

僕はとても難しいことだと思っている。まずは僕自身はこのパターンの場合は手を出さない。すぐにあきらめる。だからこの場合の結果がどうなるのかは想像できない。また外部からの問題もある。必死に仲良くしようとしているところを目撃されるだろう。噂として出てくるかもしれない。そういうときに、おそらくみんなが思う共通の認識は「きびしいでしょ」と。

健気に相手の後ろを追いかけるのは、とてもすばらしいことだと思う。しかしそこで成就しないことが確実に近いとすれば。それはどのように考えるべきなのだろうか。

僕が初期の頃に書いた記事で、身体を武器に誘惑してくる場合があるという話を書いた。「身体が目的で会ってもいいよ」みたいな感じ。
これは僕がタチとしての役割を担うから、相手が武器にできることだと思う。逆に僕が、身体を目的に・・・なんていうのは、おこがましい。むしろ距離が離れるだろう。
ご飯などで、少し高価な場所に誘うというのは、年齢を考えても武器にできるかもしれない。
しかしそこまでする必要のある、口説きたい相手というのは存在するのだろうか。
なかなか難しい話だと改めて思う。
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