過去の日常

ゲイ・バイとして過去のまとめ。30代の悩み。考え。日記。20代と30代のゲイカップルです。

2011-07-25 20:43 

パパの話。


僕の年代。
30代=1980年代生まれは、思春期のころに女子高生、ブルセラ、援助交際という言葉が使われ始めた時代でもあった。

そしてそれは、もちろんゲイの世界も無関係ではない。女子高生がパンツを売るのであれば、ゲイもそう。パパがお金とともに肉体を求めるのであれば、それはゲイの世界も同様である。

もちろんゲイのコミュニティの中で高校生というのは相当人数が少ない。そのため実際には大学生~20代前半ぐらいまでがその対象になるのだろう。

僕はこの世界に入る前から、どうにも年上が苦手で恋愛の対象や、それをにおわすような関係になることは不可能であった。しかし友人の中には、年上が好きということもあったり、何よりも若いときは常に貧乏であった。そういった事情があって、肉体と金銭を交換するという話を聞いたことがある。

何をもって後ろめたい行為とするのか、非常に難しいところがある。たとえばずっとずっと年上の人、、、父親ぐらいの?、、、という人に食事をごちそうしてもらう。そのようなことは、たとえ下心や不純な動機があったとしても、食事を食べるということのみにおいては、問題があるのだろうか。
若い子は空腹を満たすことができ、パパは有意義な時間をわずかな金銭で満たすことができる。もしそこにちょっとした違和感があるとすれば、年齢差がありすぎる、ということだけである。

ゲイは多様であるから、いろいろな行為が金銭の対象となることがある。たとえばセックスにしても、最後までする場合、手だけの場合、口だけの場合、、、しかもそれは、してもらう場合もあれば、させてもらう場合にも価値が生じる。あまり適切な例では無いかもしれないが、援助交際の場合「させてもらう」ことが目的であり、してもらうことは主たる目的ではおそらくないだろう。しかしタチ・ネコという役割に応じて、求める内容も違う。
聞く話のほとんどは、してもらうのはOK。だけどこっちからするのは抵抗がある。というのが多かったように思う。

金銭は相場もあるようだけど、なんかそれぞれみたい。

僕の場合。僕はやっぱり無理だ。新宿の飲み屋で、かつて足を触られたりだとか、肩に手を回されたりだとか、そういったことがあった。しかしそのような行為のどれも、僕は嫌悪感を感じるのである。もちろん冗談で触ってくる場合と、明らかにいやらしい感じの時の違いがあって、嫌らしいときの感じは何とも言えない嫌悪感である。

だからかつて何回か、義理などで食事をするようなことはあった。だけどもちろん金銭の授受も肉体の提供も一切不可能であることを僕は知った。
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※奥にちらりと映っている人は彼がタイプらしいです。
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[ 2011/07/25 20:43 ] 昔の話 | TB(0) | CM(0)