過去の日常

ゲイ・バイとして過去のまとめ。30代の悩み。考え。日記。20代と30代のゲイカップルです。

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2014-09-07 10:00 

彼も親にいいました。


相手の事なので、今日の記事は簡単に書く程度にします。
僕はかつて自分の現状を母親に伝えました。2013-11-01 親に言いました。

彼も親に言ったようです。そして特に何も無かったようです。
※ちなみに実際に言ったのは、5月ごろ?の話だったと思います。この記事を公開するのが遅くなりました。


かつて僕は、相手の親に対する葛藤を見ていました。
僕にとってそれは、正直なところあまり信じられないことでもありました。

僕自身はあまり積極的に親に言うつもりもありませんでしたし、言わない事に対して何も考えたことはありませんでした。
しかしカミングアウトに関しては様々な考え方があり、特に葛藤している人もいるという話は、そのときにおそらく初めて触れたのです。

で、彼は一大決心とともに親に言うと思うので、僕は全く決心をせずに、さっさと親に伝えてしまおうと思って先日の記事の通りサラッと言ってしまいました。
結果的に僕はなんの問題も生じませんでした。そして彼の場合でもなんの問題も生じなかったようです。

すべてがその通りでは無いと思うのですが、僕たちはすんなりとそれを乗り越えることができて、本当に良かったと思います。
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[ 2014/09/07 10:00 ] 日常 | TB(0) | CM(0)
2014-04-05 13:37 

同じ事を何度も体験するのは大変だ!


短期の恋愛しかしたことがなかった時、僕は来年の予定が立てられないことをとても不幸に感じていた。
毎年花見をする時期になると思う。
※お花見についての記事も過去に書いています。2011-04-29 遅くなりましたが、お花見で思うこと。

花見はもちろん一人でするのも楽しい。僕は好きだ。
しかし誰かと一緒なのも楽しい。だからこの時期に誰かと会うような事があれば、短時間であっても花見に付き合ってもらう。
ちなみに年末年始だと、神社仏閣へのお参りを一緒にすることが多いです。

桜に何か意味があるとか、そういった雰囲気がどうだとか、そういう考えはあまり持っていない。
しかし、見頃が一瞬で終わる桜は、他の花にはない特別な意味があるように思えて仕方が無い。もちろん春が過ぎ、夏になるとゲジゲジがたくさん付いてしまうのもまたおもしろい。
そして秋に紅葉。冬には落葉。四季折々の姿をわかりやすく表現してくれるのが桜だ。

おそらくこのブログにも書いたと思うが、長期の予定が立てられるというのは、僕はとても幸せだと考えている。
花見にしても、今年は○○に行ったから来年は○○に行こう。そういう1年を通じた予定が立てられる。また、例えば夏に遊びに行った場所で、桜の木があれば、じゃあ桜の時期にはここに来よう。そういう事ができるのである。
旅行にしても、今年は○○。来年は○○。そういうことができる。

まだ、長期的な恋愛を知らなかったとき、その場その場を最大限に過ごさなければ、すぐに終わりが来ていた。
今年は○○に。そして来年は・・・・。きっとこの人と来られない。もしくはそもそも恋人がいなくて誰とも来ることができない。そういう想像を巡らせていたのである。
そしてそれは、とても残念なことに、ほぼ100%その通りになっていたのだから恐ろしい。

そういう苦痛から解放され、ここ数年間はずっと長期的な予定の元に行動ができていた。
僕は同じところに例年の通り通う事が好きなので、毎年同じ場所に行きながら、新しい場所にも足を伸ばすというのがここ数年ずっとやっていたことだ。
しかしここまで長期の恋愛になると、さすがにそういう行動に飽きが来たような気がする。

花見などのわかりやすいイベントは、例年ずーーーっと同じ事の繰り返し。そこには違いはあっても変化はない。
もちろんそういうことを安定というのかもしれない。そしてそれは僕が望んでいたことでもある。
しかしここまでの継続はさすがに変化が欲しいなぁと思ってしまうのである。

今後も、今までと同じように、そしてそれはひょっとしたら10年以上もこのまま継続していくのかもしれない。
そいう、同じ体験を今後もずっとしていくことは、覚悟が必要なのかも知れない。そのように最近は考えている。
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[ 2014/04/05 13:37 ] 日常 | TB(0) | CM(0)
2013-03-11 18:32 

食事量が少ないという話。


ゲイは食べない。そういう話になることがある。これは何も「そう思う」というイメージが先行していることではなく。今までのいくつかの経験の中で実際に確認されている。

僕はそういう意味では昔から小食なのかもしれない。そうはいっても、彼だって僕と同じぐらいの量しか食べず、サイズは僕の方が小さいので、そういう意味では相対的に僕よりも食べないと言うことになると思う。

またそれ以外の友人たちを見回しても、僕はあくまで標準量を食べるという認識があり、決して少ないとは思ったことがなかった。

もちろん職場では、男性の職員は身体を使う仕事と言うこともあり、弁当を2つとまでは言わないにしても、弁当1つにカップ麺などの食べ合わせをすることがあり、ずいぶん食べるなぁと言う印象があった。

しかしあくまでもその程度でした。

いくつかのイベントをこなしていく中で、1人前について、ずいぶんと大きな認識の違いがある事に気づいた。
僕としてはせいぜい1人前が 500g あれば十分だと考えている。この他に飲み物や、お菓子やデザートなどを食べたら、おそらく余るような食材が出てくるだろう。そのような量。

そしてその考えは今までの中で概ね適切だと思える結果だったように思う。年齢層などによっては300gまで減らしても良いと思っているぐらいです。

と、そういう話をすると、必ず異なる意見が出てくる。そしてそれは「あまりにも少なすぎる」という意見である。根拠を尋ねると、例えば主婦の人だったり、例えばそういうイベントを体験した人だったり。そういう人たちは具体的な量はともかくとして、実感としては500gは想像している量の半分以下というぐらいのようである。

確かに僕は男の兄弟がいないので、1日にどのぐらい食べるのかは正直分からない。しかしめちゃくちゃすごいという話はよく聞く。これでもか、これでもか。っていうぐらいに食べると。それでも痩せているという話をだいたいセットで聞く事が多い。
また別な例では、500gぐらいの量だと、小学校低学年ぐらいのイベントの時に用意する量だというのである。

そう考えると、20代~30代の男性が多いグループにとっては、確かに致命的な量という計算になる。

ゲイはそこまで食べないのかなぁというのが正直な気持ち。確かに食べない人は多いけども、その年代の人ってたいがいみんなそうじゃないの?と。

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[ 2013/03/11 18:32 ] 日常 | TB(0) | CM(0)
2013-01-25 09:00 

初詣してますか。


酔ったときにする他愛もない話の中から、僕自身の気持ちが整理されることがあります。それが初詣に関する事柄。

とはいっても、考えがある程度方向性を持つことができたのは、ずいぶん昔の話です。

初詣いってますか?
賽銭はどうしてますか?
お願い事はしてますか?

僕は性格に似合わずなのか、神社仏閣系は好きなのです。身近なところで言えば大きな施設であれば、日光などもそうかもしれませんし、身近なところで言えば、川崎大師やら浅草やら、至る所にそういった施設は存在しています。

地方にも同様に方々にありますし、最近ではショッピングモールの屋上などに、そういうイベント施設が設けられる事もあるようです。

何人かの話を聞いていて、初詣に対するスタンスというのが、僕自身はかなり異なっているのではないかと思い、ちょっとそれについて書きたいと思います。

初詣には行かないという話を聞くことはあります。僕はこれについては、特に何も思うところはありません。せっかくのイベントなので、それに参加すれば楽しいのにとは思いますが、そういはいっても、それ自体はとくにおもしろい作業でもないので、特に混雑しているということもあり、それを避けたいと思うのは、とてもよく分かります。

賽銭についての考え方。そもそも賽銭って何のためにあげるのでしょうか?願い事を叶える対価?
話を聞くと、奮発して少し多めに入れた。そのような話を聞くのです。そしてその場合の意図は、願い事の深刻さと賽銭の金額は比例しているように思います。

そのような考え方は気持ちはわかるものの、愚かなこと、間違ったことだと思っています。そもそも大金を積めば願いが叶うなどというのが、すでにどうなのでしょうか。また願いを叶える方も、この人は大金だから・・・という理由で叶えたのだとしたら、それでは本末転倒な気がします。だから僕は賽銭については極少額にしています。本当は無くても御利益には関係無いと考えていますが、イベントを楽しむためには賽銭をあげるということが、必要なアイテムである事も事実です。

願い事について。
願い事は他人に言うと叶わない?そのように言われているのでしょうか。まあ僕も、他人がたとえくだらない願い事をしていたとしても、それで良いと思いますし、当たり障りのない願い事だとしてもあまり興味がありません。
ただし、願うべきではない願い事の種類というのがあると思っています。

完全に他力になってしまうのは絶対によくないと思います。「恋人ができますように」などと言っても、叶うわけがありません。せめて「いい人と知り合えますように」でしょうね。あとはもし好きな人が思いつくのであれば、具体的に「○○さんとつきあえますように」というのもありだと思います。

恋人が欲しい。そのような話はよく聞きます。しかし出会いがなければ恋愛に発展することもありません。だからゴールをいきなり要求するのではなくて、その手前の段階こそ、切実に願うべきなのです。そしてそこから先は、さすがに努力しましょう。
具体的に好きな人が思い浮かぶ場合は難しいのは事実です。しかしまあ友人関係であるならば、あとは運を天に任せて告白などするしかないでしょうから、それで玉砕するなら仕方の無いことです。僕だったら「○○さんに告白するのでうまくいきますように」というお願いをすると思います。


あとは事後のことを無かったことにするようなお願いもダメだと思っています。例えば「落とし物がみつかりますように」というように、落としたことを無かったことにするようなお願い。病気が治るようにというタイプのお願いもこれでしょうか。

なぜこれが違うと考えるのか、それはお願い事がネガティブな要素を含むからです。
願い事は、それが叶えばポジティブな要素を持つべきだと思います。だから落とし物が見つかるようにという願いの前に、「落とし物をしないように」そのように願うべきだったのです。また「病気をしないように」事前にそのようにお願いをするべきです。

上記に関連して、ネガティブなお願いは絶対にダメです。「○○さんが不幸になるように」という種類のもの。もちろんどうしてもそういう気持ちを完全に捨てるのは難しいと思います。しかしそこはぐっとこらえて、比較となる人がいて、その人と比べたいのであれば、「○○さんよりも幸せになれますように」という願いをするべきです。すると、これは相対的な物なので、相手が今よりも不幸になる事によって、自分の方が相対的に幸せの位置につく場合と、もちろん自身がすごく幸せになって、相手よりもうまくいく可能性があります。

僕は本来あるべき願い事の姿としては、「曖昧」「ポジティブ」「感謝」につきると思います。
曖昧というのは、非常に重要です。叶うか叶わないか分からないのであれば、叶う可能性のある願い事の方が良いのです。「3億円欲しい」そう願ってそれが手に入らなければ、叶わなかったと一言で言い切ってしまうのはとても残酷なことだと思います。それだったら給料が上がりますように。同じ金銭でも、これならずっと叶う可能性が高まります。時給にしても月給にしても、黙っていても少しぐらいは増えますよね?

健康で・・・という願いも素晴らしい願い事の一つだと思います。この願い事が素晴らしいのは、100%叶うと言うことです。風邪を引いて寝込んだとしましょう。「この程度で済んだ」そう思えば良いのです。もしお参りしていなかったら、もっとひどいことになっていたかも知れない。だからこの程度で済んでよかった。と。そうすれば、絶対にこの願いは叶うのです。

願い事は具体的な方がいいと思います。しかし曖昧な方が良いのです。「幸せな1年で・・」という願いは、叶うでしょうが、実感も持ちにくいでしょう。だから具体的で曖昧。それが重要です。

最後に感謝です。これもまたとても重要な事です。僕はもうずっと何年間もお参りをしているので、かならず翌年のことを振り返って感謝をしています。「おかげさまで去年は1年間楽しく過ごすことができました。」と。感謝に意味があるわけではありませんが、これも叶える側の事を考えてのことです。当たり前のように願い事ばかりを言われるよりは、感謝から始まって願い事を言った方が、精神的にもだいぶラクでしょう。

みなさんもぜひ意識してみてください。

※なお僕自身は無宗教であり、神仏や特定の宗教を信じているわけではありません。
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[ 2013/01/25 09:00 ] 日常 | TB(0) | CM(0)
2013-01-09 15:29 

明けましておめでとうございます。カミングアウトをしました。


今年もどうぞよろしくお願いいたします。
思い返すと、ブログを書いてからというよりは、ブログを書く前からほとんどの事に変化がありません。僕は相変わらずですし、彼も相変わらずです。もちろん個別にいくつかの小さな変化、例えば相手はそろそろ就職ですし。というのはありましたが、大きな部分においては本当に変化のない時期にさしかかりました。

もちろん僕自身は、プライベートが落ち着くのはとてもうれしい事だと思っています。この状態がなるべく長く維持されるようにと、毎年年初には強く願っているのです。


さて、昨年末の話しですが、カミングアウトをしてきました。
もともと言う予定だった人たちには、それですべて完了です。あとは言うタイミングや状況を見ながら伝える事はあり得ますが、特に僕の方から時間を設けて・・・という事には鳴らないのではないかと考えています。

特にそのことに意味があるわけではありませんが、少なくとも伝えたみなは、そこそこの年月を僕と友人関係として継続しているので、伝える意味は少なからずあると思っています。


毎回のことではありますが、「もっと早く言えば良いのに」と。僕は今まで伝えた人たちはすべて、偏見などはないんだからとか、友人関係には関係が無いんだから、という意図を含みながら、もっと早く言えばよかったのに、と言われる事ばかりでした。
※唯一妹たちだけはそのような反応でなかったので、何らかしら思うところがあるのかもしれません。


僕はそういった、早く言えば良いのにと言う意見については、非常によく分かります。僕自身が何らかのカミングアウトを受けるような事があれば、その事象が発生してからの時間が経過しているのであれば、もっと早くという気持ちがないわけではありません。

しかしそれは前回の関連記事にも書いたとおり、改めて伝える必要がないかもしれない。そのように考えているのです。だから今回も、なかなか難しいんだよねー。カレーが好きです!とか嫌いです!ってわざわざ表現しないじゃん?っていう。


今回も非常にうまくいったと思います。が、まだ彼には会っていません。ということで、次は機会を設けて紹介でもできれば一番いいですね。
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[ 2013/01/09 15:29 ] 日常 | TB(0) | CM(3)
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