過去の日常

ゲイ・バイとして過去のまとめ。30代の悩み。考え。日記。20代と30代のゲイカップルです。

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2014-08-18 11:21 

ネガティブな友人の話。


これは過去に書いたかも知れません。(と思って検索してみたけど、それらしいのは見つかりませんでした・・)
かつての友人で、非常にネガティブな人がいました。今はもう連絡を取っていないのでどうなっているのかは分かりません。

会話をしたときには、必ず悪い方向で物事を考えていました。
遊ぶ遊ばないという単純な事もそうですし、ご飯では誰が何を注文するのか。そういうことも気にしていたように思います。

その人と知り合ってから1年後ぐらいに、確か僕は今の恋人とつきあったと思います。
しかしその友人には、僕に恋人ができたことを伝える事ができませんでした。(そのため、その友人は僕の恋人の有無については知らないまま疎遠になりました。)
その友人に僕が恋人ができたという話ができなかった理由というのは、非常に単純ではあるのですが、どのように僕のことを感じるのか、怖い想像しかできないというものです。

友人と知り合って、1年近く遊んでいるのに、その友人とは恋人関係などになる事はありませんでした。しかし別なところで恋人を見つけたとなると、、、その友人はきっと、「なんで僕と友達を続けてるのか。恋人探してるなら、そして僕が恋人の対象にならないのなら、さっさと僕のことを切って、他の人に行って欲しい」そういった理屈になるのです。

僕は恋人関係に発展するのかに関係無く、友人関係として、細々と続けることも当然あると思いますし、ひょっとしたら恋人ととは友人関係のようなことはうまくできないかも知れません。もちろんそれらが重なる場合もあると思いますし、全く重ならない場合もあると思っています。

という、ある意味では単純な理由で、ある意味では当然のことだと考えていました。しかしネガティブな友人にとっては、そうはならないのです。まるで裏切られたかのような、そういった感情が出てきてしまうようです。
もちろん僕は友人に恋人を探しているという話をする場合もありますし、しない場合もあります。それは不誠実をどうのこうの。。。というワケでも無く、誰とどのような話をするのか、それは友人によって偏るのは普通にある事です。

その友人僕と同じぐらいの年齢でした。今はもう30歳は過ぎていると思います。
その後の話というのは全然知りませんが、そのネガティブな発想が変わらなかったとしても、幸せな状態であればいいなーと僕は思っています。
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[ 2014/08/18 11:21 ] 考え(自分関連) | TB(0) | CM(0)
2013-06-26 14:24 

嫉妬心。


今まで僕は嫉妬心は強くないと思っていました。
というのも、基本的に無関心な僕は相手が何をしていても特に気にしませんし、それを知りたいとか詮索しようとか思ったことがありませんでした。

もちろん携帯を見るようなこともないし、僕が自由でありたいことの引き替えに相手にもそれを提供していました。

そうはいっても嫉妬というのは、状況に関係無くやってきます。そして僕はその嫉妬心が非常に強いことを実感したのです。

例えばカップルを見ると、それがどのような形態であっても。。。例えばうまくいってないような場合だったりとか、僕にはまったく理解できないようなつきあい方だったりとか。そういうことに関係無く、恋人関係の人がいるということで、何とも言えない、うらやましいというような気持ちが芽生えてくるのです。もちろん僕自身の状況は棚に上げながら。

という、まずは僕一人でも起こる嫉妬心。

彼が近くにいれば、嫉妬心はまた強くなります。その顕著な例が、誰とも会話をして欲しくないというものです。
もちろん会話を禁止するほど、僕はマヌケではありません。自由に発言があるべきだし、他者からの質問も自由であるべきです。それは当たり前です。しかし、相手が誰かと積極的に会話している様子を見たら、きっと嫉妬心が芽生えてくると思います。そしてそれは理屈で分かっていても、それを変えることは難しいと考えています。

という、単純でよく起こりうるシチュエーションでそれですから、友人がいればその友人が気になるのは事実ですし、メールアドレスの交換なんて!って思うのも事実です。
ただし、もちろんどれも規制はしません。当たり前です。

別に何が心配とかそういうことではありません。もちろん僕の性格なので、きっと周りからの「なんでかお。さんなの?ホントにいいの?」的な質問を彼は受けることになるでしょう。まあそれはそれで仕方ありません。

嫉妬心の解消は難しいですね。
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[ 2013/06/26 14:24 ] 考え(自分関連) | TB(0) | CM(0)
2012-07-18 12:48 

僕がニートだったとき。


先日ニートについて、僕の考えを書きました。そしてその理由として、自身がニートであった時期があると書きました。
今まであまりその部分については主張してきませんでしたが、改めて僕の性格の根幹にも関わる事かもしれませんし、書いておきたいと思います。

一番最初にそのような状態になったとき。それは中学生の時でした。学生の時にニート・・・ということはありえないので、単純に不登校でした。2年生のときの1年ぐらいだったかな。

人間関係を形成する、もしくは集団生活という重要で貴重な体験を僕は1年間も得ることができませんでした。また当時は登校拒否と呼ばれ(今では不登校と表現が変わったような記憶があります)
そのきっかけは特になく、もちろんいじめでもありませんでしたし、勉強がついて行けないとかそういうことでもありませんでした。※ただし持病のぜんそくの調子があまりよくなく、他者と行う行動の一つ一つがしんどいっていうのはあったような気がします。それが集団生活のなかで、周りに合わせることを苦痛に感じていたかもしれません。

友人たちも教師もいい人たちばかりでした。もちろん当たり前のように、悩みや不安も人並みにありました。
しかしあるときに僕は学校に行かなくなりました。

当時は今よりもずっとそういう人がめずらしい存在でした。ある程度時代が進むと、例えば保健室登校といったような、教室には通えないけど、学校には行ける、教室ではなく保健室に通うという形態もでてきたようです。
ただ僕には保健室に行けるなら教室いけるじゃん。って思ってしまいますが、案外これが効果的なようです。

中学生の時のこれは、僕にとってとても大きな不安でした。特に将来に対しては、ほとんど絶望を感じていました。中学のその時点での大きな挫折は、例えば高校受験がうまくいかないことをほぼ確実に暗示しているように思いますし、中卒での労働なんて現実的だとは思えません。
そして集団生活は切り離すことができず、それがうまくできないと知った僕は、就職という道も絶望であれば、進学も絶望でした。
※ただ不思議なのは、「何も手につかない」というウツ的な状態にはならなかったような気がします。また、もし当時に、今と同じようにインターネットがあったら、僕は今のような状態にはたぶんなってないでしょうね。

それもあって、未だにヒマというか何もすることが無い状態というのはある種の恐怖を感じます。仕事でも趣味でもなんでもいいので何かに時間を使えるというのは、とても大切な事です。

というのが最初のニート。


次が、社会人数年目のことです。厳密にはニートと違いますが、僕は元々から起業したいと思っていました。そして大学を卒業して数年間働いた会社を辞めたのです。

辞めてからすぐに起業の準備にとりかかり、実際に起業しました。自分で会社を経営していたのは、1年半ぐらいですが、このとき最初の半年ぐらいは、ほぼニートのような状態でした。幸いなことに友人関係にも恵まれ、事務所などを格安で借りることができました。だから引きこもるような状態や、ニートなどとは厳密には違うと思います。

しかし僕としては、先の見えないそのような状態は、精神的にはあまり区別がつかないように思います。少なくとも僕はそう思っていました。
※ちなみに会社は、売却先が見つかったので特に問題無く終わりにすることができました。

日々色々と忙しくしていたり、友人関係の交流を行っていました。充実はもちろんしていましたが、会社や将来に対する不安というのは、当然のように大きくあり、それらは無視できないほど大きな物でした。

僕にとってとても重要な事は、日々がヒマなのか忙しいのか、ということではなくて、将来に対して、、、それは近い将来のことでも、遠い将来のことでも、、、ある程度見通しがつくかどうか。というのはとても大きなことです。

たとえ忙しい状態だとしても、将来に対する展望が見いだせない場合にはモチベーションが維持できません。
一方である程度将来に対する展望が見いだせても、楽しいことができていないとそれもまたモチベーションの低下にもつながっています。それらのバランスはとても難しい事だと思っています。

しかしただ一つ言えるのは、行動しながら模索しながらのそれと、何もせずに悩むだけのそれとでは、だいぶ違うことです。少なくとも色々な事を模索できるというのは、脱出する可能性があります。しかしこの模索のための第一歩が相当に大きな壁となるのも事実です。

だから僕は、無理はするべきではないと思いつつ、だけど現状は必ず打破しなければならない。そしてそれは、本人が最初に振り絞る大きな勇気しかないと思っています。だからこそ厳しいこと言うのも応援することも僕はおこがましいと思いつつも、つい口に出てしまうのです。
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[ 2012/07/18 12:48 ] 考え(自分関連) | TB(0) | CM(2)
2012-07-04 09:39 

ニートについての僕の考え



僕は様々なことについて、配慮の無い言動が目立つ。と、自分でそれを認識していても全く免責されるわけでもなく、それについては申し訳ないと思うことが多々ある。まあ性格というか、思ったことは口に出してしまうので仕方が無い事でもありますが。

さて、そういう配慮の無い僕だけど、ニート(アルバイトなども含め何もしていない状態)についてのいくつもの言動は、さらに配慮が無い。働かないの?このままのつもり?お金はどうしてるの?といった、おそらくそのようなことは触れずにおくのが、大人としての礼儀かもしれないし、本人がその状態について、どのように考えているにせよ、僕がそれをずけずけと聞くのが正しいことでは無いというのは十分に分かっている。

しかし、僕はそれについて、たとえ配慮の無い発言だと思われたとしてもそれについて、かなり突っ込んだ発言をするし、それをする資格も責任もあるのではないかと考えている。
そう思う理由は単純でただ一つ。僕自身もかつてそういう時期があって、かなり悲観していたからである。

今ほどニートなどの存在を社会が受け入れなかったときにもそういう人たちは存在した。ぎりぎりフリーターとかプーという表現で、ある程度限られた、ある意味では特異な存在であった。アルバイトだけで生計を立てることが難しいだろうことは、みんながわかっているけどそれから脱することなどは難しいことも事実であった。
唯一それらが肯定的にとらえられた時は、おそらくバブル経済の時では無いだろうか。あのときは完全に労働者優位で、くだらない企業に就職するぐらいであれば、アルバイトをしながら希望する企業に就職することが可能であったし、そう思える時代でもあった。


おそらく誰しもが、順調に人生を歩むことなどは難しい。例えば僕もそうだし僕の付き合っている彼もそう。幼少期から、知り合うまでの人生の事を聞けば、きっと話すのも辛いような、過酷な時期やそのように思う出来事というのは誰にだってあるだろう。

もちろん辛いだけじゃ無くて楽しいことも無尽にあるはずだからそれらだけに焦点を持つのも変な話だとは思うけども・・。


今のニートを自称する人たちは、ある意味で自由でうらやましい。
社会もそれを昔よりは受け入れているし、僕もそういうことは全然気にしない。だけど何となく自身の経験からも考えると、それで大丈夫なのだろうか、と。そしてもし自分に何かできることがあるなら手助けをしたいと、本気でそのようにも考えている。それがもし自分が配慮の無いいくつかの言葉を投げかけることが必要ならばそれもまた仕方が無いだろう。それらから避けて通ることもできないわけだし。

ただしニートの状態にもいくつかって、コミュニケーションがそもそも苦手という場合と、仕事はしたいけどあんまりいいのが見つからないとか、飽きっぽいとか。
コミュニケーションの場合は、結構深刻だと思うし、そういう人は働くことよりももっと先にしなければならないことがある。順番を守ってゆっくり解決していくことが必要だろう。
コミュニケーションが苦手な人は、この解決の順番を間違えると、それがまた挫折の体験に結びつくような気がするので、これは非常にデリケートな事だと思っています。

ということで、一緒にがんばりましょう。
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※そういえば僕がどういうニートだったのか書いてなかった。またの機会に。
[ 2012/07/04 09:39 ] 考え(自分関連) | TB(0) | CM(1)
2012-06-14 11:49 

精神年齢と実年齢。


未成年のとき、精神年齢と実年齢の関係で、実際の年齢よりも精神はもう少し先を行っていた気がする。18歳ぐらいのときは、社会的に認知されている未成年というくくりなんだけど、実際には20代と発想や考え方は大きく違わなかった。唯一経験の量だけが僕を未成年としていた。

20代の前半になると精神的な年齢と実際の年齢がかなり一致していたようにも思う。すべてが充実し、チカラみなぎっていた。

そして徐々に、25を超えた当たりからだろうか。精神年齢はその当たりで足踏みを始めたように思う。そして実年齢はどんどんと進む。
この差はどんどんと広がるばかりのように思える。

何を持って精神年齢とするのか。それについては色々あると思う。まだまだ若い!などと言うことではなく、色々な考え方がそれ以上にはならないように思えて仕方が無い。
例えば若かりし頃、他人の様々な表現や行動にイライラしている時期があった。それは僕自身に限らず、おそらく男性には比較的多い時期なのでは無いだろうか。それが露骨に他者に向けられれば反抗期とかそのような表現になるかもしれない。

ある程度の経験とともに、様々な考え方や行動を受け入れられるようになって、相対的にイライラすることは少なくなる。そのように落ち着くのは、10代後半から20代前半ぐらいだろう。

友人に話を聞いても、僕と年齢差がある場合、僕と知り合ったぐらいの年齢に友人がなった。例えば相手が20歳、僕が25歳で知り合ったとする。その5年後は、相手が25歳で僕が30歳だ。

このとき、20歳の友人からみれば、25歳の僕はずいぶんと大人だと思っただろう。場合によってはおっさんだと思っていたかもしれない。確かにこの5歳の差は大きくて、学生になったばかりなのと、社会人を何年かしている。という違いがある。生活様式の違いは、態度にも表れるだろう。

しかしじゃあその友人に話を聞いたときのこと。「25歳になって、俺と知り合ったときの俺の年齢だけど、当時俺に抱いていた考えと、実際に自分がその年齢になってみてどお?」と。

友人は「全然当時のまんま」と言っていた。僕自身も非常によく分かる。当時20代の考えのまま今を迎えているわけだし。

しかし肉体とともに、しっかりとした加齢をしていくのは僕にとってとても重要である。肉体的な年齢については、だいぶこのブログを書き始めた頃よりも受け入れることができ、また立ち位置なども把握できるようになりつつある。
しかし今度は精神的なそれが立ちはだかってきた。

精神はなんだかずいぶんと遅れているようなきがしてならない。昔のようなミスは相変わらずだし、年齢や経験を重ねることによって成熟しているようにも思えない。さらに困ったことに、それが今後改善されるのかも自身が無い。

今後はこのことについて、もっと考えていかねばならないと今の僕は考えている。
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[ 2012/06/14 11:49 ] 考え(自分関連) | TB(0) | CM(0)
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