過去の日常

ゲイ・バイとして過去のまとめ。30代の悩み。考え。日記。20代と30代のゲイカップルです。

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2014-09-13 10:00 

過去のことと未来のことと。


このブログを年に1回ぐらい読み返している。最初に記事を書いたのが、2010年秋のことなのでもうずいぶん前の事のように思う。

そして過去のブログを読み返して思うのが、将来に対して書くときは不安だとか見通しが立たないことを中心にかいている。そして過去にこういう体験があった。というのは、結論をかなり断定的にかいているなぁということ。

もちろんこれは僕の性格をとてもよくあらわしている。たとえ明日のことさえもよく見えてこない僕にとって、誰かとの数年後というのは、全く想像がつかず、それは怖い事でしかない。
一方で、過去の積み上げが現在の自分だと考えているため、過去に何があったか。そしてそこからどういう教訓を得られたのか。というのはとても大切なことである。そしてできれば、そこから、どのように行動するべきなのか。まで分かると一番かもしれません。

細かい将来の事というのは全くわからない。しかし今の延長からある程度想像できることがいくつかある。
一つは引っ越し。(同居の可能性も)
双方の両親?もしくは片方の親への紹介。

さすがにここまで長期の恋愛をしていれば、お互いの中では相当に完結している。もしくは完結しつつあるように思う。だからより外部に向けた行動というのはどうしても必要になってくるのではないか。

そしてそれが、親への紹介ということ。

少なくとも僕は以前の記事にも書いたとおり、母親には伝えてある。そして母を経由し父も知っている(らしい)。
妹たちも知っているので家族全員はこのことについてはみんな知っているのである。
そしてたまに母親は、紹介しないの?という発言もある。

彼も伝えた。そして彼の親には僕は何回か会ったことがある。それは友人関係として。
伝えてからはまだ会ってない。何か言われるのでしょうか・・

ということで、これからのことについて今までよりもより強く意識していかなければならないように考えています。

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※記事が前後してしまっています。
この記事は、まだ親に伝えてから恋人を会わせてないときに書きました。結局親には伝えましたし、その後直接会うことになりましたし会ってからもうまくいっています。
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[ 2014/09/13 10:00 ] 考え(ゲイ関連) | TB(0) | CM(0)
2014-08-31 10:00 

別れた方が良いであろう状態をどのように変化させるのが正解なのか。


かつての僕の友人の話です。
僕が20歳ごろに知り合った友人で、その友人は僕よりも少しだけ年齢が上でした。
そしてその友人は、すでに数年間付き合っている恋人がいる。そのように言っていたのです。

しかし話を聞いているうちに、その恋愛は正しい物ではないと僕は感じるようになりました。

結論としては、その友人の恋人は色々な人と恋愛をし、結局僕の友人は複数人いる恋人のうちの一人だと言うのです。
友人が言うには、堂々とそのように言われるわけではないそうです。しかし行動の端々でそう感じると言っていました。

恋愛には様々な形態があり、それを他人がどうこう言う物ではない。最近はそのように感じる部分も多くあります。しかしそのときの友人の話を聞くと、その恋愛は決してこのままの状態で続けるべきではない。そのように考えていました。


色々な事があって、その友人は結局恋人と別れてしまったようです。
この別れの原因は僕の意見を受け入れたとかそういう事ではなく、おそらく普段の行動の我慢が限界に達したのだと思います。


友人とはその別れたという話を聞いた後に疎遠になってしまいました。しかししばらくして数年ぶりに再会したとき、その憔悴した感じというのはとても強く印象に残っています。
たとえどのような相手と恋愛をしていたとしても、そこから得られるものは大なり小なり存在しているようです。そのため、僕が第三者としてその恋愛を見る限りでは、決して続けるべきでは無いと考えていました。しかし実際には、別れた後の精神的な不安定さを見る限りでは、複数の恋愛相手の一人というような状況だとしても、そのまま続ける事は精神の安定につながったようです。

今でも思い出す事があります。
このような恋愛について、終わらせるべきなのか、それともそのまま続けるべきなのか。もしくはそれ以外の何かがあるのか。
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[ 2014/08/31 10:00 ] 考え(ゲイ関連) | TB(0) | CM(0)
2014-05-23 10:00 

恋人がいると、楽しいことつまらないことは半分?2倍?



恋人と長らく楽しくやっている。
かつて一人身だったとき、恋人ができることは辛いことやつまらないことは半分になる。そして楽しいことは2倍になるという話をきいた。

そしてそれはそれは、夢のような状態で、そうなったらもう楽しいことしかないじゃんか!そのように思ったものである。

さて、いざ自分の事を考えたときに、それはどうだったのか。
結局のところ、自分の考えとしては、楽しいことは2倍。それは間違いがないと思う。しかしつまらないこと・辛いことも2倍であると考えている。

楽しいことは言うまでも無く、一人の楽しさというのももちろんある。しかし相手と一緒だと、単純に楽しいだけではなく、その楽しい状態を共有できてたことがさらに楽しいという感情が出てくる。だからこそ2倍になるというのはうなずける。

しかし辛いことだって2倍だ。一人だけで解決できるようなことだって、2人の利害が絡んでいれば、その影響は大きい。引っ越しだって、好き勝手決められたのに、相手がいればそれを好き勝手に決める事はできない。制約にもなるし、その後の関係にも影響が出てくる。
ごはんだって、食べたいものを食べたいときに。。。。だったのが、相手がいればそれもまた尊重する必要がある。
細かいことだけど大切な事だと思う。

また別の考えとして、楽しいことが2倍になっているから、それが標準の楽しさに感じるよう、マヒしてくる。だから2倍の楽しさを得られなかったときのつらさは、4分の1だということになる。相対的なこうしたものは、結構大きい。
例えば1人で "1" の楽しさの場合、恋人と一緒ならば "2" になる。そして2を期待していながら、思ったほどの楽しさじゃ無かった場合、それは "0.5" だとする。その場合、期待していた2と比べると、4倍の開きがある。

つまり自分一人で楽しもうと思って、ちょっとガッカリしたぐらいであれば、それは 0.5 だけ楽しめたんだからヨシとする場面だったのに、2を期待していたのに、まったく足りない。そういう状態にもなりかねない。

結局恋人というのは、自分の楽しいとかつらいという感情を良い方・悪い方に高めてくれる存在のような気がする。もちろんうまくいっている時、順調の時にはそれが増幅されるのだからとても素晴らしい存在である。
しかし辛いときには、その方向に増幅される場合も多い。(もちろん緩衝材としての存在になるときもありますが。)
だからこそ、そういう意味ではあまり期待せずに気軽に接することが重要なのでは無いかと考えているのです。
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[ 2014/05/23 10:00 ] 考え(ゲイ関連) | TB(0) | CM(0)
2014-03-20 17:38 

ビデオ(DVD)をどう見るか。


性的な欲求を解消する手段として、ビデオというのは非常に重要な存在である。
(現実的にはDVDだろうけど、ビデオって書きます)

男女のそれの場合、ジャンルは詳細にわかれているけども、見る立場というのは一環していると考えている。結局は男性の視点に立っているということ。
さすがに今まで色々な人と、色々なビデオの内容について話をしたことがあるけど、好きなジャンルや興奮する、ちょっと変わった意見というのは散在している。しかし男性の友人が「俺は女性になったつもりで、男性に責められていることを想像して見ているよ」などというのは、非常にマレであろうし、僕自身はそのような事を聞いたことは無い。

だから男女のAVに関しては、非常に画一的ではあるけども一定の同意がある。

S/Mのプレイだって、男性が女性を責めるのであれば、視点は男性に。男性が女性を責めるのであれば、視点はやっぱり男性にあるのである。スカトロなどの一部のジャンルは、きっと「やられたい」という視点はあると思うが、さすがにAVでそういうのはあるのだろうか??M男性を責めるS女性っていうのはあるだろうけど。

しかし一方で、ゲイのそれは異なる。視点がどちらにもある。
タチ・ネコという役割を分けたところでも、視点がタチ役になる場合もあればネコ役になる場合もある。多いのは、男女のAVを見るときがそうであるように、自分の立場と視点を同一視することだろうか。

僕がDVDを見るときに、僕自身の役割はタチなので、映像の中のタチ役の人に視点を合わせることが多い。それは紛れもない事実である。しかし一方で、時々はネコ役の方に視点を合わせて、まるで自分が責められているかのような想像を巡らすときがあるのも事実である。
そしてこのような役割の置き換えは、男女のAVではなかった。

だから、男女AVと違ってゲイAVは色々な視点で楽しむことができる。男女AVでは抜きどころを押さえるのが難しい。今回の抜きどころは前回と違うし、一通りのポイントを押さえてしまったら、そのDVDは引退である。次の作品を探さなければならない。
ゲイだったらそれが2倍楽しめる。タチとしての抜きどころを探す。視点をかえてネコとしての抜きどころを探す。リバという視点だってあるかもしれない。

画一的では無い楽しみ方がゲイにはできるのではないかと思う。

そして僕の場合。リバってワケでは無いけど、SとMの要素を少しずつ持ち合わせているので、その両方を堪能できていると思っている。とても幸せだ。
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[ 2014/03/20 17:38 ] 考え(ゲイ関連) | TB(0) | CM(0)
2014-02-27 18:05 

過去の恋愛を引きずるということ。


僕は今までの恋愛について、もちろん後悔もありますし思い返して色々考える事もあります。
しかしそれらについては、すべて客観的な事実であり、必要以上に美化していることもなければ、卑下していることもないと考えています。

事実として受け入れるべきは受け入れ、反省するべきは反省する。それだけの事です。
反省をしてもしなくても、過去の恋愛について何か変化がおこるようなことは絶対にありません。

良くも悪くも刹那的なこの業界ですから、過去の恋愛を引きずっている人を見かけるのは非常に珍しいことだと思います。
しかし、ごく一部の特定の条件では、「引きずっているなぁ」と考えられるような場面に出くわすのです。

一つはすごくタイプだった場合。もう一つは長期の恋愛だった場合。
長期はまあ仕方ないでしょう。たしかに長い期間付き合ってれば、それが引きずっているワケでは無くても、生活のかなりの場面で、昔の恋人を感じる事は多々あると思います。

しかし「タイプだった」という理由だけで、引きずるというのは、僕にはどうにも理解ができません。
タイプだった人との恋愛で、引きずるのは性的な要素だけではないのでしょうか?

タイプの人と付き合うことの怖さのようなものをその時に感じました。
つまり短期間の恋愛であったとしても、相手に合わせる恋愛は、自身の行動の過半を変化させます。
通常の恋愛であれば、長い時間をかけて少しずつ相手に浸食されてくるのですが、好みの相手の場合は、その浸食のペースが速いのではないかと考えるのです。

生活の相当を変化させてから相手と別れた場合、確かに生活様式の変化というのは、相手を思い出すには十分な理由ですし、それを引きずっていると感じる場面に出くわすことも多くなりそうです。
あまり聞かない、引きずっている恋愛の話を聞いたとき、あまりにもタイプの人と付き合うのは、とても怖い事だと改めて思いました。
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[ 2014/02/27 18:05 ] 考え(ゲイ関連) | TB(0) | CM(0)
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